岡山のアトリエから


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個展の意味

今年は、秋に個展をやる予定ではあったのですが。

諸事情が重なり、できなくなってしまいました。 予告もしてましたし、待ってくださっていた方もあったので、申し訳ない事でした。


先日 絵の写真を撮りながら、やはり、実物を見てもらう機会を持つことの大切さを、思いました。

写真にしてしまうと、実物の持つ感じとは異なってしまうことも多くあるのです。



しかし、絵画を描いていく中で、自分が感じている事を書いておきたい気持はあったので、

しばらく中断していたブログを、またぼつぼつ書いていきたいと思います。



ここは、岡山のとある山ぞいの古い家にある 昔納屋だったところを改造した北向きのアトリエです。

この部屋では昔、木綿糸のかせを木管に巻く内職をしていました。

いまも残ってはいますが、このあたりは、昔、綿織物が、盛んだったのです。

庭には、コンクリートでふたがしてありますが、堀があります。 水を、 糸の染色をするために、使ったのです。



私は、土壁がむきだしになったこの古い部屋が、好きです

なぜなら、昔からの、時間の記憶があるような気がするから、

めまぐるしく変化しているように見える時間の底には、常に忘れさられた時間が、横たわっています。


絵を描く事は、とりもなおさず、自らが、根源的に,持っているものを実在化することです。

忘れさられた時間をとりもどす事でもあるのです。



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玉島  溜川スケッチ


6月初旬 晴天の日


昼間は、光が強すぎるので、夕方になってでかける。

集中するため、車の中から描く。

車の中は、道具が置けるし、便利なことも多い。


デッサン時、流れとか動きを感じとらないと、描くことはできない。

集中できないと失敗することもあるので、慎重にはじめる。

 
 日没前、木の根元にあるくづれかけた塀が、蜜柑色に輝いて見える。

そこにとどまった光が、物の形をよりくっきりと、見せる。

川面は、不思議と静かになる。



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アトリエの光

 真っ青な空、くまなく照らす太陽は、かえって画面を、見づらくする。


アトリエで、絵を描く時も、そうだ。
 

たぶん空中に、水蒸気がある時のほうが、色彩が豊かに見える。
 

ここは、北窓のアトリエだ。


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どちらかと言うと、落ち着いた光がはいってくる

 

北側には、テイカカズラの茂み。

 

光が強すぎる時は、かえって色が見えない。

 


今年の夏は、もう二度ほどそういう日があった。

 

タブロー上の光を、感じながら、やっと絵を描くことが、できる。

 

光の感じ方は、人によって大分違うものらしい。
 


それは、何処からやってくるのだろう。

 

それを捜すために、絵を描きながら、長い旅を、するようなものだ。


 














 

 

冬の有木谷


20数年前、東京から岡山へ帰った当初よく描いたのも有木谷だった。

家からひと山越えて、東に行った所へ池がある。

山を背景に木立が水に映り、夢のようにきれいな所だと思った。







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 冬の有木谷


遠くに重なり合った山の形が珍しい。

鴨が時々来て遊ぶ池。

湿気をおびた日は、特に山の色も稜線もやわらかく見える。


空の向こうにあるのは、とても暖かな光と感じられる。

そして、いつもそのように色を、おいていく。








 

 



















 
風景画 | 22:22 | comments(0) | - | - |
東京雑感 2
 雪の残った根津美術館の庭園は、梅の花も見ごろで本当に美しかった。

「和歌を愛でる」、と題した展覧会を見た後、庭を眺めながら喫茶店でぼんやりした。

梅の木の向こうに見える高い木の幹には、鳥が見え隠れする。


ロビーには、石で作られた仏様が何人かおられる。

自然にそこにできたかのような、仏様。




料紙に書かれた「古今和歌集」を見る。

例えば、文庫本で、「古今和歌集」を読むのとは大分違うなあ。という印象。

「源氏物語」に描かれた、「墨つき濃く薄く、」という表現を思い浮かべる。

墨の、濃さ薄さが、不思議な空間を感じさせる。

本物の持つ匂いというふうなものは、そこに自分を引き込んでしまうという様な力を持っている。


それを書いた「時」が、そこにあるような気がする。









紀行 | 21:16 | comments(0) | - | - |
くすのき(酒津)

 去年の個展が終わってすぐ描きはじめた作品

個展前は、小さい作品が多かったので、大きめの作品を描いて見たかった。

大きい作品は、インパクトがあるかも知れないが、描く必然性がなければ、納得した作品はできないという気がする。

遠景に針のように細く木の幹をかくのと、木が近くにゆったりと動いているように描くのとでは、

おのずと表現する内容も違ってくる。

繊細なところまで自分の感覚が同化できるように描きたい。



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酒津のくすのき

とあるスーパーの駐車場でのスケッチをもとにタブローに仕上げた。


苔むした木の幹も、水が木をはぐくみ育ってきた記憶も描きたいと思ったけれど

そこまで描けたかどうかは分らない。

酒津は、高梁川が近くを流れ、水の豊かにある所だ、その豊富な地下水ゆえに大きく育った木が多くあるのだろうかと思ってみる。


この絵は、近日 原宿の神宮苑で展示される予定になっている。





風景画 | 20:08 | comments(0) | - | - |
東京雑感

今年の冬は、寒い。

去年の11月に渋谷で個展をやって以来、久しぶりに上京した。

「東京に何をしに行くのですか。」 と聞かれたので、そのことについて、書いてみたい。

たぶん、価値観が、錯綜しているような空間に居たいと、思うからなのだろう。

物事が流動的に動いているのが好き。ということもある。

それに、たまには、素晴らしい芸術に出合える。

残念ながら、地方には、メジャーなものしか入って来ない。


2月9日に見た ジョン・ノイマイヤー振付の「ロミオとジュリエット」東京バレエ団 は

本当に素晴らしかった。

まさに、写真やDVDでなく舞台を見なければ、バレエは分らない。

主役以外の人も、自分自身の中に物語を持っていて、まさに錯綜した空間が、舞台の上で、

演じられていた。踊りもそれぞれが、また全体として、素晴らしかった。

本物と、偽物があるとすれば、たぶんこれは、本物なのだろう。

その違いはなんだろうと思ってみる。

生命力のあるものは、その奥深さで、見た人の生き方にまで影響をおよぼすものではあるまいか。


表現者は、鑑賞者に、そこまで見えていても、見えていなくても、自らのなかにある表現の要求水準を、落としてはいけない。
それは、いずれの世界においても同じことだろうと思う。








紀行 | 22:22 | comments(0) | - | - |
山里の風景(宇内)


川沿いの小道を通りぬけ、外にでると全く違った世界が開ける。

対岸には、田んぼが広がり、向こう側の山すそには、人家も見える。



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これは、早春にスケッチにいった。

山と空の際には、まだ裸木が空を透かしてレースのように見える。



しかし、4月の半ばぐらいから、冬を脱ぎすてて、風景は一変してしまう。

だから、そこは、またちがう絵になると言っても良い。
 
風景画 | 20:38 | comments(0) | - | - |
川沿いの小道

 昔はよく見たきり通しの、木の根っこの苔むした様子や、崩れかけた土の様子は、とても美しいものだ。

川沿いにあるこの道は、そういう風情を、まだのこしている。


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今年はこの道を、何度かスケッチに通った。

人物をいれなくても良い場合もあるが、これは、その必要性があると感じたので、人物をいれた。

私は、画面があまり無機的になるのは好まない。



よくできた絵の絵肌は、土とか、木とかの自然物にとてもよく似ていると思う。

そのように描けることを、理想にしたいと思う。

風景画 | 19:59 | comments(0) | - | - |
川沿いの木立
 今年は本当に色々な所へスケッチに行ったと思う。

しかし百花繚乱的に色々な物を描くのが、はたして良いのだろうかという気がする。

同じテーマを何回もくりかえす事によって、より自分の描きたいことを明確にすることもできる。



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これは小さい絵だ。

写生をもとに創作の要素もたくさんはいっている。

エスキースのつもりで描いたけれど、水彩から油彩への移行が、わりとうまくいった。

複雑なものになりすぎていたプロセスを、シンプルにできたとおもう。
風景画 | 22:15 | comments(0) | - | - |

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